最近のお仕事 4月2007年04月16日 16時28分15秒

キネマ旬報 
4月下旬号 役所広司インタビュー
(「アルゼンチン・ババア」について。ちなみにこの映画で、役所さんが演じたのは石屋さん。我が家と同業で、ちょい嬉しい)

5月上旬号 「黄色い涙」特集
「嵐、それぞれのアイデンティティー」という、嵐についての考察を書いています。


BSファン 4月号
「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」
撮影現場ルポ


TVファン 4月号
「プロポーズ大作戦」特集
山下智久、長沢まさみ 取材・文


ぴあMOOK 韓国スター名鑑 2007
ダニエル・ヘニー インタビュー
(『春のワルツ』のフィリップ、『私の名前はキム・サムスン』のヘンリーなどで
ブレイクした新世代イケメン。アメリカ生まれのアメリカ育ち。とても陽気なナイスガイでした)

沖縄でナイロビ2007年04月23日 00時43分41秒

沖縄マリオット
18日から20日まで、2泊3日でこの季節恒例の沖縄旅行をしてきた。
なぜ恒例かといえば、3月はお彼岸で忙しく休みがないため(ジャッキーがね)、4月に羽を伸ばすというのが我が家の常識なのである。要するに天乃家のリフレッシュ休暇ね。

まあ、暇さえあればジャッキーが沖縄に行きたがるんで、原稿締め切りのない週にしたってのもありますが。
今回も飛行機はANA。ジャッキーはマイル利用、私は「いっしょにマイル割り」料金で往復25000円。いっしょにマイル割りは、以前より少し値上がりしたなあ。


宿泊は、お初である沖縄マリオット・リゾート&スパ。ほんとは離島に行きたかったのだが、天気がいまいちという週間予報もあり、本島のリゾートホテルでのんびりすることとあいなった。なぜマリオットにしたかといえば、安いプランを見つけたのと、スパや無料のVOD(ビデオ・オン・デマンド)があり、もし雨でも時間がつぶせそうだったから。


案の上、初日の天気は大荒れ。飛行機がなかなか降りられず、30分以上、上空を旋回して、ようやく着陸。結構ゆれたので、ちょっと疲れた。

レンタカーを借りて、お昼を食べたりしながら
(その間の詳しくは、ジャッキーブログ参照ください。
http://amakuma.asablo.jp/blog/2007/04/18/1452889)、3時ごろにホテルに到着。
今回、一人1泊12,600円の2周年記念プランだったが、ホテルから1泊1室約7000円でエグゼクティブ・ルームにUGできるということなので、そちらに変更。カクテルタイムにはお酒が飲み放題だもんね。さらになーんと、お姫様のような天蓋つきベッドだ。


部屋に入った途端、ジャッキーがカウチで寝てしまったので、私はVODで映画を観ることに。100本近くプログラムがあり、その中で去年見逃していた『ナイロビの蜂』を選んだ。
VODって初経験だったけど、画質がよくてびっくり。
すっかり映画に入り込んでしまった。


しかし、『ナイロビの蜂』ってタイトルは損してるよなあ。私が宣伝マンだったら、いくら小説の邦題とはいえ、これは採用しないよ。映画は夫婦愛を縦軸にした社会派サスペンス。ジョン・ル・カレの原作自体が日本ではベストセラーというほどではないのだから、ここはまったく違う邦題をつけるべきだったと思う。
ちなみに原題は小説、映画共に Constant Gardener。まめな庭師、というのは主人公である外交官の事なかれ主義を表した言葉。その彼が、妻の死の真相を究明するうちに、別人のようになっていく。なかなかいいタイトルがすぐには浮かばないが。
まあ実際、邦題つけるのって大変なのは身にしみてわかってるけどね。私が『恋人までの距離(ディスタンス)』という邦題をつけたときも、賛否両論だったし。

バカンス先でも、そんなことを考えてしまうのって、やっぱ職業病かね。

沖縄でビール2007年04月23日 01時51分11秒

オリオンビール
といえば、もちろん、オリオン生。

今帰仁城近くの、ピザ&喫茶・花人逢にて。
このあと、ただでもう1杯のんじゃいました。
オーダー間違えちゃったので、どうぞー、ってお店の人が持ってきてくれた。うまかったー。

今帰仁城の御嶽(うたき。神様と交信する場所)に行った直後だったので、霊験あらたかだなあ、なんて感心してしまったよ。

所詮いくつになっても、スピリチュアルじゃなく、マテリアル・ガールなのである。アッ、アッ。

市川でプリティ2007年04月24日 02時11分46秒

プリティ長嶋
トップ当選ですョ。

ごくろうさん!2007年04月30日 15時23分30秒

植木等さん、ありがとう、さよなら。
4月27日、青山葬儀所で行われた植木等さんのお別れの会に参列してきた。
正しくは、「植木等さん 夢をありがとう さよならの会」。

写真は、記帳をした際、御礼としていただいたカード。


こうしたスターのお別れ会に参列したのは初めて。私を含めた一般ファンは、会場外に設営されたテントで式の中継を見るという形式だったが、内田裕也のロック・スーダラ節には笑った。思い切り歌詞を忘れて、やり直すし、いまひとつリズム感ないし。植木さんは湿っぽいのは嫌いだろうから、という本人の意図以上に笑えました。
でも、歌う前に『笑わないで、笑ってください』と言った内田裕也の気持ちはよくわかる。よくわかったので、笑い泣きしてしまったぜ。
前座歌手として、クレージーキャッツと全国を回ったときの話もしていて、ちょっと裕也を尊敬しそうになった。


このあと紀尾井町の出版社で打ち合わせがあったので、最後までいられず残念だったのだが、会の締めくくりは、植木さんの「ごくろうさん!」の声だったそう。


会場には一人で行ったのだが、どうもファンの列の前方に元上司のTさんらしき人がいる。後ろ姿だけなので確証ないし、涙ぐんだりしてたのを見られると恥ずかしいので、そのまま声をかけずに帰ったのだが、駅で思い切り遭遇。しばらく立ち話をする。

私たちのいた会社(Tさんはまだ社員。リアルMr.Booとして知る人ぞ知る元宣伝マン)は映画会社とはいえ洋画配給なので、彼もあくまで一ファンとしてやってきたとのこと。Tさんは50代後半。彼らにとっての植木等は、本当にアイドルだったんだろうと思う。


私が物心ついた昭和43,4年頃はすでにクレージーキャッツは超大物だった。今でいうなら、クレージーがSMAPで、ドリフがTOKIOと嵐とKAT-TUN全部足したくらいか。微妙に違うんだが。実際、ドリフは浅草国際劇場で生公演を見たことがあるが、クレージーは生で見たことがない。
ちなみにその頃、日曜の夕方は、チャンネルはずっと4番固定だった。『笑点』→『プラチナ・ゴールデン・ショー』(フォーリーブスの番組)→『シャボン玉ホリデー』と続くんだもの、変えられるわけがない。


しかし、遅れてきたクレージー・ファンであるのに、どうしてこんなに思い入れがあるのかは一言では書けないが、個人的なことを言えば、子供の頃、父親が植木さんに似ていると言われるのが、とても嬉しかった。父と植木さんはほぼ同世代。当時、単身赴任でうちにあまりいなかったから、ちょっと怖い存在だったんだが、「植木等に似ている」(と実は私自身はあまり思ってなかった)と近所のオバサンとかに言われるとやっぱり嬉しかったのだ。


私は植木さんの突き抜けた、ドライな笑いが大好きなんだが、「おきあがりこぼし」というちょっとウェットなドラマも忘れられない。
植木さんはやもめのギタリストで、妻を亡くしたショックか、病気だったかでギターを弾けなくなるんだが、楽団仲間(もちろんクレージー)と子供の支えで復活する、という感じの人情喜劇。
今思えば、ダニー・ケイの音楽映画『五つの銅貨』のアレンジだったんだろう。ちなみにダニー・ケイは谷啓の名前の由来ね。


当時4歳くらいだった私は「やもめって何?」と親に聞いたのを覚えている。植木さんは『無責任男』シリーズでは父性のまったくない男を演じていたし、そこが大好きでもあり、時代を変えた理由の一つでもあると思うのだが、「おきあがりこぼし」は真逆で父性を感じさせるドラマだった・・・と思う。
何せ30年以上前の記憶で書いてますから。


今まで日本の芸能人の訃報を聞いて泣いたことはなかったが、
植木さんの訃報に激しく動揺してしまったのは、植木さん自身やその作品が大好きだったのはもちろん、やはり自分の父親が死ぬことの、疑似体験に近い感じだったからなのかなあ・・・、とちょっと冷静になってみると思えもする。要するに、昭和の終わり、ってことなのか。


ほんとに、ほんとに、植木さん、ごくろうさん、でした。

最近のお仕事 4月下旬2007年04月30日 23時37分48秒

TITLE 6月号
”超話題作『バベル』のイニャリトゥ監督、東京を歩く”
(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督と非常に短い時間ですが渋谷のロケ地めぐりをし、インタビューをしました。なかなか他では聞けないコメントもあると思うので、ご一読のほどを)


キネマ旬報 5月上旬号
『バベル』 役所広司、菊地凛子 インタビュー


この映画がすごい!6月号
『ラブソングができるまで』ほか、レビュー


『ラブソングができるまで』
劇場用プログラム
「無駄なパワーが時代を作る」と題し、80年代についてのコラムを執筆。
恥ずかしながら、わがミーハー時代を激白!してみました。
ヒュー・グラント演じるの主人公のポップスターが活躍したのが、80年代。
デュランデュラン、ワム!、スパンダー・バレエなどが好きだった人には、絶対にオススメしたい映画です。大笑いできます。
ちなみに私は、スパンダー・バレエ派でした。


『ゲゲゲの鬼太郎』 劇場用プログラム
ウエンツ瑛士 インタビュー