お荷物小荷物2006年02月27日 00時28分07秒

今日はシアターコクーンで「労働者M」を観てきたのでその話でも書こうかと思っていた。だが、帰ってきてネットを見たら、脚本家・佐々木守氏の訃報を目にしてビックリ。
まだ69歳だったのかあ。 うーん、残念である。佐々木守といえば、60年代後半から70年代のテレビドラマ全盛期を支えた脚本家の一人。この人、ものすごく多作で、私が子供の頃は毎日のように「脚本・佐々木守」という文字を見ていた気がする。「おくさまは18歳」や「赤い運命」などの大映ドラマから「ウルトラマン」、映画では大島渚作品まで、そのジャンルもとにかく幅広い。

「佐々木守が死んじゃった!」と言うと、うちのジャッキーもショックを受けた様子。「怪奇大作戦」好きのやつにとっては「ウルトラ」シリーズなど実相寺組の脚本家という印象が強いらしいのだが、私が真っ先に思い出したのは「お荷物小荷物」と「美人はいかが?」というドラマ。

「お荷物小荷物」大好きだったんだよね。今調べたら1970年から71年にかけての放送。
下町の運送屋に、沖縄(続編では北海道)からお手伝いさんとしてやってきた中山千夏が、男所帯の封建的な一家を引っ掻き回すというコメディ。いきなりカメラ目線で話したり、スタジオ見学の客を巻き込んだり、当時のテレビドラマとしてはかなり実験的なことをやっていたらしいが(ゴダールの影響と言われていたことを最近知った)、そんなことはわからない当時5歳の私が見ても、すごく面白かったのよ。なんかハプニングがいつもある、っていう感じが伝わってきたというか。
それと、林隆三、渡辺篤史ら男5人兄弟の末っ子(だったと思う)だった佐々木剛が、その後2代目仮面ライダー、十文字隼人として登場してきたことに子供心にも、「おおっ」と思ったものだ。佐々木剛と佐々木守の間には血縁関係はないみたいだが。

当時、中山千夏は才女タレントとして人気があり、うちの母親もとても好きだったんだよね。このドラマで彼女はよく、長袖シャツの上から半袖ニットを着ていたのだが(当時の流行だった)、私も母に編んでもらったニットで似たような格好をしてました。今思うに、うちの母親は容姿に恵まれない幼い娘に、顔より頭で勝負の中山千夏のようになってほしいと思っていたようだ。結局どっちでも勝負できてないんだけど。
ちなみにこのドラマ、現存するビデオが数回分しかなく、再放送できないらしい。非常に残念。

で、そんなことを考えながら、以前紹介した「ポップカルチャー年鑑2005」を手に風呂に入った。すると、開いたページに偶然、「お荷物小荷物」と佐々木守についての記述があるじゃあないか。ちょっとお風呂の中でぞくっと震えがきました。嘘。本当はあつくて汗ダラダラ流してました。でも、あまりの偶然に驚いたのはホント。

それによるとカムイ編(北海道出身のバージョン)は、アイヌについての描写がらみで、放送禁止となった回があったそうだ。それで思い出したんだけど、このドラマ、何で子供の私がそれほど好きだったかといえば、中山千夏がクマを飼ってたんだよ!下町で、クマ。実際に下町で、運送屋の隣に住んでいた私にとっては、ありえねえシチュエーションだったわけだが。
でも沖縄編でも何か飼ってたんだよなあ。思い出せない・・・西表ヤマネコ、じゃないしな。

というわけで、佐々木守さん、ご冥福をお祈りします。